寺子屋講演会 青木新門氏「いのちのバトンタッチ」

2017年3月20日に、瑞岩寺本堂にて、寺子屋講演会が開催されました。

 

今回のご講演者は映画『おくりびと』の原作者青木新門さんです。

 

青木さんのブログ「新門日記」には、冒頭にこう書かれている「人生の最高の幸せは生・老・病・死の全過程を安心して生きることです」と。

 

私も「たのきんトリオ」や「少年隊」世代であり、僧侶を題材にして映画『ファンシーダンス』の主演を演じたモックンこと本木雅弘さんには親しみがある。

そして一見人が嫌悪するような納棺夫という仕事を尊い生業として生き生きと描いた映画『おくりびと』には衝撃を受けたと同時に、この青木新門さんに是非お会いしてみたいという想いが前々からあった。

 

実際お会いしお話をお聴きするごとに満州での出征。

その後2歳の妹の遺体を背負って焼き場まで行ったこと。

大学での挫折、生活の不安などから葬儀社への就職。

親族からの嫌がらせなど聞けば聞くほど壮絶な人生を送られてきた。

そして、主人公の本木雅弘さんと青木新門さんがオーバーラップした。

 

そんな壮絶な人生を本木さんとの出会いから、映画が米国アカデミー賞を受賞するまでのエピソードを涙と軽快な笑いで語っていただきました。

 

インド・ベナレスで「生と死がつながっている」と実感された本木さんは、その何か分からない不思議な光に包まれて『納棺夫日記』に出会ったという。

 

映画では大分カットされた本来青木さんが伝えたかった宗教的な部分それは人間の根源的な疑団「人は死んだらどうなるのか?仏教の往生とはどういうことなのか?」ということだった。

 

書籍『それからの納棺夫日記』の中にはこう書かれている。

 

「いのちのバトンタッチは、生と死が交差する生死一如の『現場』にしかない。」と。

映画の中で納棺夫である本木さんが奥様役の広末さんから「穢らわしいから触らないで」と言われ落ち込みながら、元彼女のお父様の納棺をする場面がある。

その時に、隣で涙する元彼女が青木さんの滴る額の汗を拭いてくれて感じたのが「軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた。

私の全存在がありのまま丸ごと認められたように思えた。そう思うと嬉しくなった。」と。

 

青木さんが、納棺夫が素晴らしい生業で自信を持てたのはこの正にこのような体験の積み重ねだ。そして嫌味を言われ絶縁状態にあった叔父の納棺もされている。

その時に、「憎しみ」は「涙」に変わり「あらゆるものが輝いて見えた」という。

 

書籍『飛鳥へまだ見ぬ子へ-若き医師が死の直前まで綴った愛の手記-』の一節にこういうものがある。

 

「その夕刻。自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて見えるのです。スーパーに来る買い物客が輝いて見える。走り回る子供たちが輝いている。犬が、垂れ始めた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊くみえたのでした。」

 

たぶん、死が近づけば近くほど、自分の生の奇跡や有難さが意識されすべてのものが光り輝いて見えるのだろう。

それを仏教では「無量光」とか「アミターバ」という。

道元禅師様も「生死一如」とお説きになられている。

きっと、ベナレスで本木さんが体感したのもこれだ。

「死」は頭の中には無い。

「死」は体験の中にしか無いのある。

 

私も檀徒さんから葬儀の連絡が入るとすぐに枕経に向かう。

死後硬直が始まる前(三時間くらい)の顔は本当に柔和で優しい顔を誰もがしている。

私はわざわざお顔を覆っている布を取ってお経を唱えるがこれは参列者にご尊顔を見ていただきたいからだ。

そのときに正に「いのちのバトンタッチ」が行われる。

枕経こそ一番大事だと思っている。「死」は体験でしか分からない。

 

ある文集におじちゃんの死に立ち会ったお孫さんの手記がある。

 

「ぼくはおじちゃんがなくなる前の3日間いろんなことを教えてもらいました。人が亡くなると悲しいのだろうかってテレビを見ていて不思議でした。でも、いざおじいちゃんが亡くなろうとしている正にその側にいるとき僕は悲しくて辛くて涙が止まりませんでした。その時、僕はおじいちゃんに人のいのちの重さ、尊さを教えて下さったような気がしました。最後に、どうしても忘れられないことがあります。それは、おじいちゃんの「笑顔」です。いつまでも僕を見守ってくれることを約束して下さっているような「笑顔」でした。おじいちゃん、本当にありがとうございました。」

というものだ。

 

こんな素晴らしい「いのちのバトンタッチ」が行われれば僧侶のお経など必要ないかもしれない。このお孫さんはこの悲しみを明日の生きる糧にすることができるだろう。

きっと、神戸の連続殺人事件のような少年には育たない。

 

『死の瞬間』を箸した精神科医のキューブラー・ロスは「末期患者が最も安心するのは何らかの方法で死を克服した人が患者の側にいることである」とおっしゃっている。

それが僧侶である私の大切な役目かもしれないと思った。

 

合掌

 

<プロフィール>

青木新門(あおきしんもん)

 

1937年富山県(下新川郡入善町荒又)生まれ

早稲田大学中退後、富山市で飲食店「すからべ」を経営する傍ら文学を志す。

吉村昭氏の推挙で「文学者」に

短編小説「柿の炎」が載るが、店が倒産。

1973年冠婚葬祭会社(現オークス)に入社。

専務取締役を経て、現在は顧問

 

1993年葬式の現場の体験を「納棺夫日記」として著し

ベストセラーとなり全国的に注目される

 

著書に「納棺夫日記」小説「柿の炎」詩集「雪道」童話

「つららの坊や」チベット旅行記「転生回廊」など

なお、「納棺夫日記」は1998年に米国で「Coffinman」と

題され英訳出版され、中国語、韓国語でも翻訳されている

また2008年に「納棺夫日記」を原案とした映画「おくりびと」

がアカデミー賞を受賞して再び注目される。

 

ブログ新門日記

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