滴水白衣観音開眼供養をさせていただきました。
今夏に瑞岩寺境内に小関ご夫妻より基礎の台座まで含めると全長8メートルもの滴水白衣観音像をご寄付頂き、その開眼供養法要を平成30年秋のお彼岸のお中日9月23日午前10時より厳修させていただきました。とても有難いことであります。
白衣観音とは梵語でパーンダラヴァーシニーといい、三十三観音の一人に数えられる観音菩薩様で古くからインドでは崇拝されており観音菩薩の母とも仰がれ、観音菩薩の変化身の一つともいわれ信仰されている仏さまであり、有名なものに高崎の白衣観音がある。
瑞岩寺のご本尊様は十一面観音像であり、胎内仏は千手観音といわれている。境内にも平和観音などがあり、「観音さま」はその名の通り、「音を観る」(音は1秒間に340メートル進む)ように音を聞くよりも早く、悩み、苦しんでいる人のもとに行き、慈悲の力で救われるという日本人にはとても親しみのある仏さまである。
昨年末、施主のKさん夫妻にはお子さんがなく、Kさん自身はガンを抱え自分のお墓の用意を考えておられて相談に来られた。
「自分だけの永代供養墓を作っていただけないか?できれば観音様がいい。そして、永代供養をして欲しい。」というお話しだった。瑞岩寺も以前より高速道路から見えるような観音像を建立したいと考えていたのでまさに観応同行したような有難い話だった。
永代供養墓の意義に、自分が亡くなったあとのお墓の心配をしなくていいという点もあるが、今回またある視点が加わった。
自分の縁(よすが)、生きていた証を誰もが遺したいものだ。それが、人々に安らぎや安寧を与える観音像であれば尚良い。それに、お寺は住職が継続すれば永遠に遺る。
もし、 Kさんに何かあっても ご夫妻の布施の気持ち、喜捨の精神や慈悲心はいつまでの地域の人々の心を癒してくれるだろう。
お釈迦さまは、こう仰ったと言われる。
「この世で稼いだお金、財産、家族、友人などすべてのものはあの世へ持っていくことは到底できない。しかし、持っていけるものが一つだけある。それは、あなたがこの世で行った行為、良いこと悪いことすべてである。」と。
あの世があるかどうかは、誰にもわからない。実際にあの世に行って帰って来た人は誰一人としていないのだから。
でも、「あの世」を信じて、死を「通過点」とすれば人の苦しみや悲しみは幾分癒されるのではないだろうか?信仰や宗教はそのために必要なだと思う。
白衣観音像を建立してから、すでに多くの檀信徒のみなさまから、亡くなった妻のようでこころが癒されるとか、お寺に来て観音様のお顔を拝ませていただくだけで心がスッキリしますというお声をいただいている。すでに多くの安らぎや安寧を地域の人々に与えているようだ。
観音様の右手の印は、施無畏印。「心配しなくていいよ。大丈夫。」と安心を与え、左手は与願印で「苦しいことや悲しいことは何でも言いなさい。」という意味が込められている。
合掌