(令和二年度)施食法話要約
みなさま、本日は新型コロナ禍の中よくお参りいただきました。また、本日はパソコンの ZOOMというソフトを使用して本堂にお参りに行きたくても行けない方々にもパソコンを通じて法要に参加ご覧いただいております。
今年は、この新型コロナウィルスのおかげで、日本のみならず世界中が混乱を極めております。オリンピックも本当ならば今頃盛り上がっていたことだと思います。多くの方が感染し、療養し、残念ながらお亡くなりになられた方も多数おられます。心よりお悔やみ申し上げます。
今回の件で、大きく世界が変わったような、また変わるような気がしてなりません。アメリカファースト、中国との対立など、自分ファーストの世界だったものが、「多くの人が目にみえない糸で繋がっていた」ということに気がつかれた方が多かったのではないでしょうか?自分だけがよければいい、他人はどうでもいい、という考え方では、マスクもしない、感染の多い東京へ出かける、熱がでていても他県に旅行に行くという行為がどれだけ多くの方に迷惑をかけるのか?もちろん、三密を避けながらする行為ですが、マスクは自分が感染しない以上に他人も感染させないという仏教の「自利利他」の精神です。
仏教の教える「自利利他」とは、自分の悟りの修行のために努力すること(自利)で、その後、他の人を救済するために自分の身を削って努力し尽くすこと(利他)です。これが、大乗仏教の理想です。私が理事長を努めます社会福祉法人も使命は、まさにこれです。『自分もまわりもしあわせに、そして円満へ』です。
「自利利他」が円満の秘訣というわけですね。人間生きていますといろんないざこざがございます。私のところにくる人生相談の99%がこれです。自分が、、、自分が、、、、という具合。そして、反対にしあわせそうな人はいつも他人を、、、、他人を、、、しあわせにしようを考えていらっしゃる。
みなさん、結婚式やお祝いでする「三三九度」がまさに「自利利他円満」です。意味ご存知でしょうか?
「三+三+三=九」、そして、最後にもう一つパンと打ちます。これが丸という字の最後の「点」です。
これをめでたいから、3回(3は中国の陽の数字で縁起がよいとされます)を繰り返す。つまり、「丸、丸、丸〜」ってことです。
実は、今日の「大施食法要」これも大きな「丸」なんです。みなさんの正面にある「施食棚(昔は施餓鬼棚と言いました)」は何故わざわざ作るのか?みなさんのお宅にもございますね?「盆棚」とか「精霊棚」と呼ばれています。
本日、多くの近隣のご寺院さまを拝請いたしまして、山野の珍味や浄水をお供えして、加持飯食陀羅尼経をお詠みいただきました。法要の最初と最後に「チン、ドン、ジャラン」と打ちましたでしょ?あれは、何をしているかと申しますと上州では有名なカミナリを起こしています。「ピカ、ゴロゴロ、ドーン」似てますでしょ?そして、龍を呼ぶのです。良く京都の臨済宗のお寺様の本堂の天井には龍図が描かれています。故人を天から呼び寄せて、そして甘露の雨を降らせて、みなさまのところに呼び寄せるお経です。
そして、故人さまに来ていただくのと、同時に今まで供養されなかった精霊、(道端で轢かれた小動物や、葬儀をしてもらえなかった精霊、みなさんがきにされずに踏み潰してしまった虫など)これらの餓鬼と呼ばれていたものも一緒に呼んで供養をしたのです。(餓鬼は昔から外にいて生物を食べています。だから、精霊棚には、キュウリやナス、ニンジンやスイカなどの季節のナマものを下に置くのです)つまり、自分の御先祖さまだけではなく、他人の御先祖さまのしあわせを一緒に祈ります。
正に大乗仏教の理想の境地です。
初盆の方々は、大切な奥様、旦那様、お子様を亡くされた方、祖父母を亡くされた方さまざまです。
悲しみの縁に沈みながらも、この日本の風習はすばらしくて、日本の「あの世」は遠くにあるのように思えて、春秋の彼岸、お盆には帰ってきます。神道でも12月31日の大晦日の6時にご先祖様が帰ってくるそうです。
つまり、ときどき帰ってくるのが、日本の風習です。これは、きっと、「あの世にも行って欲しいけど、たまには帰ってきて欲しい」という遺族の気持ちの現れなのではないでしょうか?私も父を6年前に亡くしましたのでその気持ちはよく分かります。
是非、このお盆の期間は、目には見えない、耳には聞こえないけれど、故人さまが帰ってきていると思って、ご家族で仲良く笑ってお過ごしいただければと思います。それが、ご先祖さまが一番望んでいることだと思います。
本日は、お参りいただき誠にありがとうございました。合掌。